(5)何で勉強しないといけないの?
「なんで勉強しないといけないの?」
そんな事を言われたこと、思ったことはありませんか?誰もが一度は考えた事があると思います。それは小学校、中学校、さらには高校、大学受験、いつのタイミングでも。あなたはその疑問に対する答えを持っていますか?もしあなたにお子様がいた場合、何と答えていますか?
「今、勉強しないと将来が困るから」
「一生懸命勉強して、少しでもいい学校に入って、いい会社に入って・・・」
あなたが与えられたり、与えてきたのはそんな答えかもしれません。でも、その答えはあなた自身や、あなたのお子様を納得させるのに充分な答えですか?おそらくは、多くの人がその答えに不満を残し、もしかしたら自分自身を無理やり納得させているのかもしれません。確かに日本には未だに学歴偏重の傾向があり、例えば省庁などで働きたいと考えるならば、少しでも偏差値の高い学校に入ることが求められます。多くの場合、学校で得る知識は学歴を積むためのツールの一つでしかなく、身に付けた知識は将来にわたって活かされることなく忘れられてしまうことが殆どかもしれません。
例えば、それは数学の方程式であり、英語の文法であり、物理の実験であったりします。これらは実際の社会生活の中で活かされることはほとんどありません。では、何でそんな忘れられてしまうような知識に多くの時間を割かなくてはならないのでしょうか?
ある小説にこんな件があります。「英文法の授業というのは物事を体系的に捉えるための訓練だ」。確かに英文法の授業では、英語という言葉を身につけるための授業というよりは、英語というツールを使ったパズルの授業といえるかも知れません。英語を学ぶ上で英文法自体が全く意味がないわけではありません。しかし、英語を本気で身につけようとするのであれば、もっと英語と触れる時間を増やしたほうがタメになることでしょう。だから英文法の授業に意味を求めるのであれば、「英文法を通し、物事をスムーズに理解し組上げるための訓練」として捉えることは一つの答えになるかもしれません。さらに数学の方程式や物理の実験には、「仮説の立て方、それを実証するための訓練」として捉えると、意味を見出せるかもしれません。
また、小学校や中学校で多くの事を学ぶことは、それだけ将来にわたって多くの選択肢が与えられるということでもあります。自分が何に興味を持てるのか、何に心を動かされるのか?それを見つけられる場所であり、教科の数だけ機会が与えられ、授業の時間だけ選択する時間が与えられているということです。
勉強することで得られる知識は、それ自体にももちろん価値のあるものですが、知識とともに得られる物事の考え方や思考のトレーニングにこそ実は大きな価値があり、そこから派生する将来への選択肢を得ることこそが勉強する理由なのではないでしょうか?
そういった意味で「今、勉強しないと将来が困るから」という答えは間違っていないかもしれません。しかし、もしお子さんに聞かれたら一言で片付けるのではなく、優しく噛み砕いて説明してあげてください。
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